190611
こころの問題はパーソナリティ障害で語ることができるか?
パーソナリティには「性格」と「気質」という二つの側面が存在する.「気質」は遺伝学的(生物学的)要因によって先天的に形成されるが,「性格」は心理・社会的な要因によって後天的に形成される.
遺伝学的要因によって先天的に獲得された「気質」の部分に対しては<作業療法>のようなアプローチでクライアントが社会に適応できるようになるよう支援する.今日の現代社会では「気質」に問題(精神疾患)がある人たちを発達障害者(ADHD)や知的障害者と呼ぶ.
一方で,環境要因によって後天的に獲得された「性格」に(社会適応という観点で)問題がある人たちは,躁うつ病,境界性パーソナリティ障害,統合失調症などような神経症患者などような診断名を与えられる.これらの診断名はどのような思考パターンに囚われているかによって診断名が変わるが,すべての神経症患者において自尊心に深い傷があることは共通している.これらの「性格」の問題は,精神分析学(力動的心理療法)および,認知行動療法によって修正可能である.
精神分析学は患者の無意識に直接アプローチする手法でありリスクが高い.クライアントが無意識的に避けているComplex(Jungによる定義)を意識化に浮上させ(このとき自我が不安定になる)昇華させることで治療を試みる.昇華に失敗すると症状が悪化する. 認知行動療法は,環境刺激:Sに対する誤った反応:Rの関係を正しい反応SーR´に結び変える操作によって,クライアントを環境適応に効率的な自動思考O´を誘導する.
臨床心理士は,精神分析学や認知行動療法を必要に応じて使い分けることでクライアントをより高いQOLに誘導する.対人関係療法は全ての神経症に付随する愛着障害を克服するのに有効である.愛着障害は自尊心の障害でもあり,Adlerの心理学の対象でもある.自尊心に障害があると,E.Frommの「The Art of Loving」が未発達になり,その背後に「安全基地」の欠如ないし,安全欲求の不充足による幼児的精神構造を抱えることになる.
結論
このように,心に関するあらゆる理論はパーソナリティ障害=偏った思考パターンを認知・同定し,修正する理論であると考えられる.
自尊心に傷があるから偏った思考パターンになるのかその逆であるかはわからない.しかし,自尊心に傷があると生きているだけでどこか息苦しく,世界が窮屈に感じるものである.心理学の理論は「自分を大切にできる人しか誰かを心から愛することはできない」と語っている.しかし,誰にも大切にしたい人がいることだろう.不思議なことに「私は,この人を大切にできる人でありたい」と祈ればすべてのバランスは回復するのである.
190605.3
生物学の良さについて
生物学は自然科学の一分野であり観察に基づく実証科学である.
自然科学
生物をも含む物質的自然を対象とする人間の認識活動であり、その成果のまとまりでもある。非常に幅広い対象および多様な手法に応じて、さまざまな分科をもつ。(中略)もともと生産活動や技術を源泉として人間の自然認識は生まれたが、19世紀以降、生産技術とより密接にかかわることによって自然科学が自立し、重要な社会的制度として成長してきた。すなわち19世紀に、力学や天文学以外の物理学、化学、生物学、地学といった分野が、記述や分類を主目的とした博物学(自然誌)や、自然についての哲学的認識体系を求める自然哲学から独立し、自然科学natural science(英語)、Naturwissenschaft(ドイツ語)としてのまとまりを認められるようになった。(日本大百科全書)
また,生物学は自然科学の基礎科学(物理学・化学・生物学・地球科学・天文学)――学問を支える基礎――のひとつであり,筆者はその中でもっとも身近で神聖な自然現象を扱う学問であるように思う.また,量子や天体のように極端なスケールを中心に扱うわけでもない.どこまでも現実的であり神秘的である生物学の知識は,何気ない日常を神秘の世界に誘う(文学とは違って実証的に)架け橋となりうるだろうと考える.
人文科学もそのような美しさを内包しているが,空想と区別がつかない.社会科学は近視眼的な側面があるのであまり好きでない.人間は人間だけで生きているのではなくほかの生物とのかかわりの中で生きている.生物学は,自然科学の世界で生きとし生けるものの温もりを感じる学問である.(独りで勉強していても心なしか寂しくない!!)
190605.3
時間割を作ること=計画を立てることは必要か?
一日の長さは太陽暦によって定まっており24時間である.それが7日間集まると1週間,約30日間集まると1カ月.1カ月が12個集まると1年間というように「地球」「太陽」「月」の位置によって時間が分断されている.このような自然の時間割から現代のような時間の枠組みが生み出されたと考えられる.
ところで,人間が生存できる時間もまたある程度決められている.テロメアと呼ばれる自然の仕組みによって細胞分裂回数が数えられおり,一定回数分裂すると細胞は死滅する.
精一杯限られた時間を生きたいと願うのなら,時間割を作らずに漫然と生きるのは大きな欺瞞なのではないろうか?.
190606.2
1日を有効に使うにはどうすればよいか?
はじめに,講義が1限から5限まである通常の日の時間割を明らかにする.
大学にいる時間が一日の1/3を占める.それは7.5時間の睡眠時間よりも1時間長い.このように時間を有効に使えるかどうかは大学にいる時間をいかに有効に使えるかが鍵となる.
では,大学にいる時間を有効に使うとはどういうことか?――はじめにもし大学にいる時間を働いた場合どれほどの費用対効果があるか考えてみる.大学授業料の4年間の総額は5,780,000円(生物工学科).セメスターの学費を求め,15回分で割り,さらに平日5日分で割ると1日9,633円になる.この額は1日に何個の授業を受けても変わらない.1限から5限まで受講したとすると1コマ最低1,926円となる.大学の講義を受けずに働いた場合,大学の授業料と東京都の最低賃金を足しわせた時給2,269円より多くの給料を貰わないと割に合わない.
このように授業料に見合う学習をすることが時間を有効活用したと言える必要条件だろうか.さもなければ理科大を退学して職業訓練としての専門学校に入りなおすべきである.
さて,授業料に見合う学習とはなにか?――講義内容を理解することか?それだけでは不十分だ.授業後に講師に質問を投げかけて答えを貰うことまでしてはじめて授業料に見合う学習をしたと言えるだろう.対話は驚くほど効率的な学習法なのである.
結論
一日を生産的に過ごす必要条件は,講義中およびオフィスアワーに講義内容を完全に理解せしめることである.1日を有効活用するには時間の大半を占める大学講義の内容をその場で理解して(一を聞いて十を知る人間を目指す)オフィスアワーに投げる質問を考えておく.そのためには予習を行い内容を消化するための素地を整えておくことが必要だ.
190603
外国語の学習・教授・評価のための欧州言語共通参照枠CERF(セファール)によれば,現在の筆者の英語運用能力はA2~B1レベル.一方で国立大学院で求められる能力はC1~C2レベルだ.1レベル上げるのに必要な時間は適切な指導のもと200時間.したがって,筆者が必要な英語力を身に着けるのには最低でも600時間以上学習しなくてはいけない.しかも,書籍などを利用して学習する際は永遠にレベルが上がらないリスクもあるのである.
アメリカ合衆国北部にある名門8大学(Ivy League)の場合TOEFLの平均スコアが100点を超えることもある(旺文社).
さらに問題なことに筆者は英語を履修していない.一週間に90分×4=360分の学習機会を失っている.したがって,英語を履修していない各位は,毎日60分の自習が要求されている.この事実を発見した今日から,我が家の規則に外国語学習の項目を追加しようではないか.
・日曜日を除いて,大学院合格まで毎日TOEFL対策を60分を行うこと.
いったいどれほどの時間があるのか?まず長期休暇は,春休みと夏休みで3か月.冬休みと予備日を足し合わせておおよそ4か月だ.それを除く平常月は8カ月.その間に25時間勉強したとしても200時間.つまり,1年後に院試が控えているがそれまでこの規則毎日守ったとしても目標は達成できない.
夏休みのすべてをTOEFL学習に費やした場合でも600時間には全く満たない.せいぜい,300時間程度である.それによってあげられるレベルは1.春休みは院試験に向けて他科目も学習しなくてはいけないので全く余裕はない.
逆に,夏休みを終える段階で600時間に達成する方法はあるのか?,それは夏休み前に300時間をどう捻出するかによる.300時間/60日=5時間.毎日平均5時間学習すれば達成可能である.これは現実的か?朝5時に起きるためには21時半に就寝する必要がある.早朝1時間学習し,毎日1時間で掃除洗濯炊事を完了させるならば,1限から5限の時間を除き17:30から20:30の3時間.足し合わせて平日は4時間捻出可能である.
現実的な余裕をもたせて平日は3時間の学習とするならば,休日にそれぞれ10時間学習すればよい.一応は,夏休み終了時に600時間の学習を終え,理論上C1~C2まで上達可能な計算だ.
科学技術振興機構の調査によると,学術領域における国際シェアのバランスが大きく変わってきている.20世紀は米国が圧倒的なシェアを占めていた.ところが21世紀入ると中国のシェアが激しく増加するのに対し米国は下火になりつつあるのである.
しかしたとえ,これから英語のシェアがますます少なくなったとしても英語を運用できる価値は損なわなれないだろう.
はじめに
背景と目的
① 記事を投稿することを通じて筆者は頭の良い人になり,② 到達度評価試験や大学院試験で少しでも価値のある情報を提供すること
※副題にも書いてある通り筆者は本当に頭が弱い.その証拠に大学の成績は2017年のGPAが1.02.2018年は1.23.TOEICに関しては,Listeningが220,Readingが165 (2019年4月)であり中学レベルの文法・英単語も危ういのだ.参考にする場合は眉につばをつけてほしい.
ここから,いったいどこまで巻き返せるか?—頭の弱い人間を代表してその可能性に迫りたい.当ブログの稚拙な記事が同じような惨状の人々に勇気を与え,知能が高い皆さまには系統発生を繰り返す様子として温かく見守っていただければ幸いである.
投稿規定・指針
1. 各授業科目の予習・復習
<予習> ある体系や概念が前提となって展開される上級の授業は,それを知らない我々にとってほとんど時間の無駄である.前もって百科事典的な知識は押さえておくべきだったと後悔したならもう諦めよう.次回からシラバスなどで該当箇所を確認して予習する.その内容を当ブログに投稿する.
<講義> 復習することが前提ならば板書をとることよりも内容を理解することを優先させるべきである.ノートには概念や,概念どうしの繋がりを把握するための絵や図を中心としてまとめ,板書を写す時間を必要最低限にとどめる.
<復習> 到達度評価テストや大学院試験を近い未来,必ず受験することになるのだから取りあげられたトピックはその時点で説明できるようにする.さもないとやがて身動きがとれなくなる.文献を引用しつつ講義の要約を当ブログに投稿する.
文部省令第28号7章21条より引用—大学設置基準:単位について
第二十一条 各授業科目の単位数は、大学において定めるものとする。
2 前項の単位数を定めるに当たつては、一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもつて構成することを標準とし、授業の方法に応じ、当該授業による教育効果、授業時間外に必要な学修等を考慮して、次の基準により単位数を計算するものとする。
一 講義及び演習については、十五時間から三十時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。
二 実験、実習及び実技については、三十時間から四十五時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。ただし、芸術等の分野における個人指導による実技の授業については、大学が定める時間の授業をもつて一単位とすることができる。
三 一の授業科目について、講義、演習、実験、実習又は実技のうち二以上の方法の併用により行う場合については、その組み合わせに応じ、前二号に規定する基準を考慮して大学が定める時間の授業をもつて一単位とする
(平成30年6月29日施行)
半期15回で2単位の科目の場合,1コマ(90分)の授業に対して3コマ(4.5時間)の予習・復習が必要になる.世間に胸を張れる学士を目指す以上この時間を惜しんではならない.
2. カテゴリーについて
分類基準について以下に記す
<講義> 文献などを引用しつつ講義内容の要約を行う.
<作文> 人に読まれることを前提としていない.思い付きの考えなど
*1:どうしてこんな有様なのか?—筆者は,先生の話を聞くのが苦手なのだ.その中でも英語は外国語であり,したがってこの惨状なのである.よく大学にこれたものだ.